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駆逐艦<松>と<桜>が完成しました! 主砲が高角砲(対空砲)だったり、後部に対潜水艦用の爆雷投射器を装備していたりするのが、いかにも大戦末期の雰囲気をかもし出していますね。 艦橋直前に対空機銃があるのは、正面から襲ってくる敵機に弾幕を張るためでしょう。 装甲がない船なので、まともに銃撃を受けたら艦長以下全員ミンチですから… <桜>は単装機銃が多く、後部マストに電探(レーダー)があります。 おそらく寄港時に増設されたものでしょう。 解説書によれば、<桜>は昭和20年7月に大阪湾内で機雷に接触し沈没したそうです。 当時は日本国内でも安全な海は少なかったのでしょう… <松>には悲劇的なエピソードが残されています。 昭和19年8月4日。<松>を旗艦とする小艦隊は、硫黄島や小笠原諸島に兵員・物資を輸送した船団を護衛して横須賀に向けて帰る途上でした。 運が悪いことに、彼らは米第38機動部隊に発見されてしまいます。 第38機動部隊といえば17隻の空母を基幹とした米海軍の太平洋における主力部隊で、おそらく世界最強レベルの破壊力を誇る大艦隊でした。 彼らは日本空母<瑞鳳>発見の誤報をうけて小笠原近海まで進出していたのでした。 <ホーネット>をはじめ4空母から放たれた無数の攻撃機が船団を襲います。 たちまち4隻の輸送船が撃沈されてしまい、護衛艦隊も散り散りになってしまいました。 日没とともに航空機は去りましたが、米軍はとどめとばかりに軽巡洋艦<サンタ・フェ>を筆頭に15隻の軍艦をもって追跡にあたります。 唯一残った輸送船<利根川丸>の速力はわずか13ノット。自転車ていどの速さです。 高速の米艦隊に追いつかれるのも時間の問題だと思われました。 そこで<松>は非情の決断を下します。 「…1時間40分の退却の後、<松>は海防艦4号に信号を送った。 『<利根川丸>を守って戦場を離脱せよ』。 さきの空襲で<旗風>と駆潜艇51号は行方不明だ。 <松>は雄々しくも艦首を巡らし、ただ1隻で15隻の米艦隊に向かっていった。 自分が袋叩きにあっている間に<利根川丸>と海防艦4号を逃がしてやろうというのだ。 逃げる2隻は後ろ髪をひかれる思いだった。 はるか彼方の闇に照明弾が飛び交うのが望まれた。 それが<松>の最後だった」 (光人社NF文庫『駆逐艦入門』p332より引用) もう号泣ですよ。 <松>は自らを犠牲とし船団護衛の義務を果たしたのです。 卑近な話ですが、それから60余年の日本はいかがでしょうか。 政・官・民のあらゆる場所で、無責任や身勝手がまかりとおる国になってしまいました。 <松>の乗組員は211名。 それぞれに愛する人や家族があり、夢や未来があったはずです。 まったく悲壮としか言いようのないエピソードですよね。
by tetsu_waka
| 2007-11-01 22:15
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