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旧聞に属する話ですが、高校生ドラフトのニュースで、記者会見で皆しっかり応答している様子に感心しました。やっぱプロに目をかけられる人材は違うんだなァ。 自分が高校生の頃はもっと子供ぽかったような気がします。 「戦車隊よもやま物語」読了。 大正生まれの方の著書なので全体的に懐古調なのが気になりましたけど、実戦経験者の話は重みがあってまずまずの内容でした。 また小隊長~中隊長としての部下の統率の部分はサラリーマンにも通じる部分があって参考になりました。軍隊といえども人間の集団ですからネ。 太平洋戦争劈頭のマレー・ビルマ作戦では日本軍が無敵の快進撃を果たしたかのような伝聞が多い中で、現場では大変な苦労があったことがよくわかりました。 とくに、千葉戦車学校の同期生の乗車が目の前で撃破されたシーンは悲痛でした。 無線で断末魔の叫びを聞いてしまうんですよコレ… 一生忘れなかったことでしょうね。 主力の97式中戦車が米英軍のM3軽戦車に歯が立たず、多くの犠牲を出したことを、旧日本軍の現実軽視の現われとしてきびしく糾弾しています。 小隊3両の集中射を浴びせることで対処したとありましたが(各車に無線がなくとも、訓練の結果で一点に斉射が可能!)、のちに現れたM4シャーマンにはお手上げだったことを伝聞で述べています 個人的に興味深かったたのが満州でのエピソード。 所属する戦車第1師団がビルマ平定のあと満州に移動したころの話。 過酷だった最前線と、お祭り気分の後方の落差に驚いたといいます。 あるとき戦車を整備中。 隊員が「ドライバーとウエス(ぼろきれ)をくれ」となにげなく会話していたら、実戦に参加をしていない旅団の将校が聞きとがめて「『ドライバー』などという敵性語を使うとはけしからん。今後は『柄付き螺回し』と呼ぶように」と言いがかりをつけてきたそうです。 隊員たちは一様にポカン… その光景を眺めていた著者は仲裁に入ります。 「敵性語の使用の禁止は旅団長閣下のお考えですか? それとも指令ですか?」 「まだ指令ではありません」 「では、まだ指令ではありませんね。問題は(中略)血液型もA・B・Oと呼べなくなり、現在使っている軍隊符号のi(歩兵)、TK(戦車)、A(砲兵)なども使えなくなります。代案があるのですか?」 「そこまでは検討していません」 「第一線中隊では、すでに日本語化されたボルトやナットのような言葉の使用にまで神経を使う余裕はありません。以上のことは上司に報告しておきます」 なんか小林源文の劇画のようでカッコよかったです。 根拠のない精神論を押し付けようとするあたり、すでに敗北の予感がぷんぷん。 逆に旧軍でアルファベットを多用していたのは意外でした。
by tetsu_waka
| 2007-10-05 05:54
| 読書
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