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文春文庫の「異端の空」という本を読みました。 航空機研究家の渡辺洋二さんという方が書かれたノンフィクションです。 太平洋戦争で日本が試作したり使用したユニークな軍用機の物語。 関係者のインタビューや豊富な資料を基にした記述はわくわくする内容で、本当に寝食を忘れて読みふけってしまいました。 特に心惹かれたのは海軍の試作機を描いた2本です。 ひとつは日本初のロケット・エンジン戦闘機「秋水」。 もうひとつは先尾翼の斬新なデザインが美しい「震電」。 いずれも日本が敗北を重ね、米軍のB29爆撃機が全国各地に爆弾の雨を降らせていた頃に開発された飛行機です。 高度1万メートルという超高空を飛行するB29の大編隊は圧倒的なパワーを見せつけ、日本軍のどんな戦闘機もかすり傷ひとつ付けられない有様でした。戦争末期には陸軍の「震天制空隊」のように組織的な体当たり特攻も行われたほどです。 「秋水」も「震電」も、B29を追い払う切り札として大きな期待がかかっていました。 「秋水」の原型はナチスドイツのメッサーシュミットMe163戦闘機です。 多くの危険をおかしてドイツから潜水艦でもたらされた図面をもとに、当時の日本科学の粋を集めて製造が試みられました。 しかし初のロケットエンジン製造は失敗の連続で、なかなか完成に至りません。 また、高度1万メートルまで3分で上昇(!)する性能があっても飛行時間はごくわずかで、敵を捕らえて射撃する可能性が果たしてあるのか疑問視する声もありました。 そこで検討されたのが、爆弾を搭載した「秋水」を敵編隊の真ん中で自爆させる戦法でした。まさしく人間ミサイルです。 幸か不幸か、ついに完成した1号機は初飛行の際に墜落しパイロットは殉職しました。 そして2号機の試験飛行の直前、昭和20年8月15日に日本は降伏しました。 「秋水」開発部隊の司令官は失意の士官たちを集め訓示したそうです。 「これでよかったと思う」と。 それは、多くの若者を自爆攻撃から救ったという意味に受け止められました。 一方の「震電」は、ジェット機のような流麗なスタイルに大馬力のエンジンと強力な機関砲をもち、B29と対等に渡り合えることを目指した戦闘機でした。 ちょっと変わり者の若い海軍技術士官と、2流と目されていた弱小飛行機会社が組んで、この最強戦闘機の製造に挑んだのです。 戦局が悪化する困難のなか、関係者の不眠不休の努力によって試作1号機が完成。 その姿はプロペラを背にした異形なれど、「あたかも舞い降りた鶴のように」とても美しいものだったそうです。 初飛行は8月3日の午後。わずかに右に傾きながら、たったの15分間のフライトでした。それでも関係者はみな涙を流して喜びあったとのことです。 それから半月後、日本は降伏し「震電」は実戦を迎えぬまま短い生涯を終えました。 しかし思うのですが、自殺攻撃を予定されていた「秋水」と違い、あくまで「B29に2撃目を加えうる兵器」として作られた「震電」の方が、まだ人間として許せるような気がします。 また保守的なことといったら現在と比較もできない60年前に、斬新なスタイルの飛行機を短期間に作って無事に飛ばしたという意味は、非常に大きいように思います。 まあなんていうか「プロジェクトX」的なお話なわけですけれども、どんな努力も最後には何も報われなかったというオチが、いかにも戦争の無常さを表しているようで、静かな感動をおぼえました。
by tetsu_waka
| 2005-12-15 22:08
| 読書
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