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三式戦闘機<飛燕(ひえん)>が出来ました。 昭和19年末からサイパン島を発したB29が帝都・東京に飛来するようになりました。 しかし、1万メートルという高空から爆弾を投下するB29に対して、日本軍の戦闘機はまったく手出しができませんでした。 杉並の久我山に高性能15センチ高射砲が設置されるのも、ずっと後のことでした。 爆撃機には上空から逆落としで攻撃するのがセオリーでしたが、1万メートル超の高空の薄い空気とジェットストリーム、極寒のなかでは当時の日本機は浮いているのが精一杯、ましてや重装甲・重武装のB29を撃墜するなど望むべくも無い話でした。 そんな事情などつゆ知らぬ世論や軍上層部からは「陸軍は何をやっている」「敢闘精神がない」との理不尽な非難が湧き上がりました。 帝都防空を担当する陸軍第10飛行師団は非情の決断をします。 各飛行戦隊に武装を外した戦闘機によるB29への体当たり攻撃を命じたのです。 絶望的な空気が流れる中、第10師団隷下の飛行第244戦隊に新司令が着任しました。 弱冠24歳の小林照彦大尉です。 彼は体当たり要員の機体の尾翼が赤く塗られているのを知るや、整備員に命じます。 「オレの機体の尾翼も赤く塗れ。部隊マークを白で目立たせろ」。 若く血気盛んな小林大尉の積極的な姿勢は隊の雰囲気を一変させます。 大尉は率先して出撃し、体当たりを含みB29を10数機撃墜する戦果を挙げます。 整備員も奮闘し、繊細な三式戦闘機のエンジンを入念に整備して稼働率を上げました。 悲劇で彩られた大戦末期の日本において、飛行第244戦隊の活躍はささやかながらも光明をもたらすものでした。 小林大尉(最終階級は少佐)は戦後航空自衛隊に入隊し、殉職するまで働きました。 そういった背景に思いをはせながら、いつかは作りたいと思っていた三式戦を作ることが出来て、感無量です。
by tetsu_waka
| 2008-05-16 20:07
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