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光人社NF文庫「99双軽空戦記」を読みました。 読みながら泣けて泣けて… 筆者の土井勤さんは第2次大戦中に陸軍飛行第75戦隊の隊長を努めた方で、本書はそのときの体験をつづったものです。 タイトルにある「99双軽」とは「99式双発軽爆撃機」という飛行機のこと。 大陸でソ連軍と戦うために開発された小型機で、貧弱な性能に苦しみながらも、高い信頼性で終戦まで使用された名機です。 その99双軽を装備した飛行第75戦隊は、開戦から各地で日本軍の攻勢を支え、オーストラリア本土への空爆任務まで達成します。 それはひとえにパイロットや整備兵の団結心のなせる成果であったと筆者は回想しています。たとえば仲間の機が不時着したさい、敵弾のふりそそぐなか強行着陸して全員を救助したこともあったそうです。 戦争も後半になると連合軍の圧倒的な力に日本軍はじりじりと押し返されていきます。 苦戦する地上部隊を支えるため、戦闘機の護衛もないまま75戦隊は出撃を続けます。 しかし、防弾装甲のない99双軽は次々と敵に撃墜されていくのでした… この辺の悲惨な戦いは涙なくして読めません。 いくつものエピソードが紹介されているのですが、つぎの話が印象に残りました。 激戦の最中、予備機の確保に奔走してた筆者は、補給将校から意外な言葉を聞きます。 「75戦隊は大本営(=最高司令部)から日本への帰還命令が出されていますよね。予備機なんかいらないんじゃないですか?」 耳を疑った筆者は直属の師団司令部に駆けつけるのですが、参謀長は口を濁します。 「新型機への改変のための帰還命令が2ヶ月前に出ていることは事実だが、いま75戦隊に抜けられると師団としてはひじょうに困る。しばらく待ってくれないか」 毎日のように犠牲者を出しながら奮闘する隊に、なおも戦えという非情な指示でした。 筆者は隊長として、死を覚悟して戦う隊員には新鋭機を与えて存分に戦わせたい、せめて家族や恋人と最後の別れを告げてから出撃させてやりたいと痛切に思うのですが、日本軍においては上官に反抗することなどありえない話でした。 「このことは内密にするように。兵隊に知れると士気にかかわる」 筆者はどす黒い怒りを胸に立ち去ったのでした。 そして帰還命令が実行されるまでに、さらに多くの隊員が帰らぬ人となったのでした。 サラリーマンには身につまされる話ではありますが、戦争で失われるのは人命です。 やっぱ戦争はよくないですね。 99双軽のプラモデルを作るときは心してかかることにしましょう。
by tetsu_waka
| 2006-06-03 20:14
| 読書
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